書と音楽の関係

「パソコンやスマホで打つ文字」と「筆で書く文字」。これは同じ文字だけど伝わってくるものが違う。意味という点でいえば同じなのかもしれない。しかし二つ並べたときに全然違うものになる。

 

これは簡略すればするほどわかりやすい。簡略化するのに漢字一文字で比較してみる。漢字一文字の意味はもちろんある。辞書を引いても出てくる。しかし筆で書いたときの伝わり方は違う。

 

印刷用の文字いわゆる活字の顔は一つだ。顔というのは意味のことで、筆で書いたときは同じ顔はないくらいに表情が豊かになる。例えば今回のはひっそりとした優しさだけど、前回のは大声で伝えたい優しさというような筆文字の表現もある。漢字の画数は同じでも墨のかすれや濃淡や勢いで表現されるものが変わる。そしてこれを受け取る人によっても変わる。表現者、受取者、関係性、この3つが書の顔を決めているはずだ。

 

あるときこれは何かに似ているなと思った。似ているものはいくつもあるような気がしたけど「これだ!」と言えるものがはっきりと一つ見つかった。それは音楽だ。

 

音楽も譜面は同じでも聞こえてくる感じはまるで違う。楽器が違うと伝わり方は違うのは当たり前だけど、同じ楽器でも演奏する人によって違うし、同じ演奏者で同じ楽器でも演奏方法や気分の乗り方によって違う。ピアノでもバイオリンでもアカペラでもそう思う。

 

ここで書と音楽の共通点について考えてみた。両方とも伝わるというのは共通点だ。感じるというのも共通点。発信者と受信者がいてこの間に何か見えないものががある。書自体は見えるけど間にあるものは見えない。発信と受信があってその間にあるものは見えない。

 

ということは書も音楽も「見えないものを感じる」という点に共通点があるのかなと思った。感じる気持ちは見えないのだ。

 

これまでのことを考えてみた。書を購入してくれた人に音楽に関係する人がなぜか多い。プロから趣味でやっている人までいる。上手い下手は関係なく音楽という同じ分野の人とこれまで会って書いてきた。プロのミュージシャン、交響楽団でバイオリンを演奏している人、ピアノの先生、二胡演奏者、三線教室に通っている人、ギターが趣味の人、音楽アーティストのファン、いろんな人に会ってきた。そして書いてきた。

 

その人たちが書を見るときの目を見ていると書を音楽のように感じている気がする。感じることが経験豊富な人たちだ。感じるという点では上手い人だと思う。感じているので言葉による説明も最低限で書が伝わっていく。言葉にできない部分が伝わっていくので説明できないというのが正しいのかもしれない。この伝わる瞬間が心地いい。まるで「星の王子さま」の本の中に出てくれる「大切なことは、目に見えないからね」と言っているのと同じようだ。

 

音楽に関係している人たちがよく依頼する文字が「響」だ。書を書くこちらとしても画数が多いので腕が鳴る。画数が多いと書く方としても表現力の多様さにわくわくする。書くときはなるべく感じるままに書くようにしている。そしてどう伝わっていくかはこれを見る人しだいだと思っている。発信が受信されるかどうかは受信者の感度によるところも大きいのだ。

 

響はこれまで何度も書いてきた。自分としてはサントリーウイスキー響の文字よりもよく書けていると毎回思っている。いろんな表情の響の書が仕上がっている。

 

響

 

書を書いていなかったらこんなに音楽をやっている人と知り合わなかった。これは書が音楽との共通点をあぶり出してくれた。そして結果として出会いをもたらしてくれた。本当に有難い。

 

音楽を愛する人と一緒に語りあったこともある。音楽を奏でてもらいながら書いたこともある。大事なのは書だけでも音楽だけでもどちらか一つではなく感じる気持ちなんだと気付かせてくれた。この部分が共通している。会う回数が少なくてもずっと仲良しでいられる気がするのもこの見えない部分のおかげかもしれない。

 

これからもまた音楽に関わる人と出会う気がする。新しい出会いにもわくわくしている。これは発信しているからやってくるし受信する人がいるからつながる。発信していると受信する人に出会う。書を書いていてわくわくするのはこの部分が大きい。

 

響という漢字の意味は辞書を引けば出てくるけど自分にとってはジャズのような響き合いの意味になっている。ジャズはもともと即興性が強い。その場でその瞬間に響き合うのだ。これからもジャズのように書いて行きたい。

 

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